たまたま、読書していたら、思わず涙しそうになった部分です(大げさな)。
この時期、釣果に恵まれない皆様に捧げます。
”Sea trout Fishing”, Hugh Falkusより
川に魚がいるとすれば、大増水か泥にごりが唯一許される言い訳だ。他のどんな条件も夜に魚がつれない理由にはならないのだ。さらにいえば、ある天候などの条件がつれない理由の決定的要素にはならない。良き釣り人(上手な)になるためには、条件が悪いといって釣りをやめるべきではない。なぜなら、これらの気象条件がどのように魚に対して影響を与えるかを理解し、毛ばりをどのようにプレゼンテーションすべきかを理解していれば確かにつれるチャンスは少ないだろうがそれでも魚はつれる可能性はあるのだ。
これは単なる魚をとる行為ではなく、魚を捕らえる技術を追求する遊びである。釣り人の、技術を評価する方法はフライに貪欲に襲い掛かる時に捕った魚の数ではなく、魚の活性が低いときにどのような手練手管を使えるかにある。
狩をするものは、撃つ前に鳥がどこかに止るのを待っていてはいつまでたっても技術の向上はないだろうし、成果を上げることはできないだろう。シートラウトの釣りも同様である。完璧な条件の夜を、それは滅多に来るものではないが待っていてもしょうがないのだ。嵐がくるからといって竿をたたもうとする、賢人は無視していい。草をつつき、地面の草露を嘆かせていればよい。釣りをしたいなら、空気が乾燥してるだの、湿気が多いだの、風が北だの、南だの、西だの、東だの、そんなことは気にせず、釣りをすればよいのだ。
そして、大事なことは釣りをつづけることだ、どんなに条件が悪くても。さもないと経験も魚もどちらも得ることができないから。
つづく...
どうです?いい言葉だなと思います。
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